烏野高校3年2組。バレー部マネージャー。身長166.2㎝、体重51.4kg。1月6日生まれ。好物は天むすで、最近の悩みは「おやつはじゃがりこにするかジャガビーにするか」
寡黙だが仕事は要領よくこなす有能なマネージャー。他校の選手も目を奪われるほどの整った顔立ちをしていて、田中や西谷のみならず音駒の山本など、虜となっている人物は多い。そのような人物に対しては、声をかけられても完全無視をしたり、飛びかかられると平手打ちをするなど辛辣な対応が多い。
当初は表情の変化に乏しくやや口下手な面があったが、バレー部を思う気持ちは熱く胸に秘められており、谷地の入部後は笑顔も見せるようになっている。
中学時代には別のスポーツをしていたようで、バレーボールもマネージャーも高校に入るまで未経験とのこと。
烏野高校1年5組。バレー部マネージャー。身長149.7㎝、体重42.5kg。9月4日生まれ。インターハイ予選後に入部。好物はふ菓子で、最近の悩みは「死ぬ、もしくは死にそうになる場面に出くわしたらどうしよう」
母親が「谷地クリエイト」というデザイン会社を経営している。素直だが極度に心配性な性格で、マネージャー勧誘の際に母親の言葉に迷いながらも、日向や潔子の真っすぐな言葉に押されてマネージャーとなった。東京遠征の際には、日向のアタックの写真を素材としたポスターを作成し、遠征費の確保に貢献。また、頭の悪い日向と影山に勉強を教え、赤点科目を1教科のみに抑えた。バーベキューの時には背の高い選手が群がっているのを「巨人の密林」と称するなど、表現が独特。
烏野高校バレー部OB。現在は坂ノ下商店の店番をしている。26歳。身長178cm、体重72.2kg。4月5日生まれ。好物は玉こんにゃくで、最近の悩みは「まだ30にもなってないのに親に『早く結婚しろ』って言われる」
かつて強豪と言われた烏野を率いた名将・烏養監督の孫。現在でも町内会でチームを作るほどバレー好きだが、コーチなど人に技術を教えることはあまり好まない。ただ、高校・大学時代は後輩指導に長けており、相手校の分析も鋭かった。その才能を聞いた武田から度重なるスカウトを受けており、音駒高校と対戦することを知ってようやく重い腰を上げた。喫煙者。お酒も好きな場面がいくつか見受けられる。
プレーヤーとしてのポジションはセッター。高校時代、試合に出場したのは後輩の正セッターが怪我をした際の一度きりで、その経験もあって菅原をスタメンから外すことに躊躇いを持っていたが、一試合でも多く勝ちコートに立つチャンスを増やしたいという菅原の言葉により、烏野が勝つために全力を尽くすと決心。当初は音駒との練習試合までという約束で引き受けていたが、試合後も継続してコーチを務めている。一見ずぼらな性格に見えるが、インターハイ予選の前には県内の強豪チームについて丹念に調べてきていた。
烏野高校バレー部の元監督。烏養繋心の祖父。69歳。最近の悩みは「孫に腕相撲で負けるんじゃないかと心配」 「小さな巨人」がいた時代に烏野を春高まで導いた名将で、「烏野の烏養」として広く名が知られている。音駒高校の猫又監督とはライバル同士。
一度は監督業を引退するも後に復帰、しかし間もなく倒れてしまい入院することになった。現在は無事退院し、自宅の庭コートで近所の小・中学生などにバレーを教えているが、監督復帰は未定のまま。教え方はスパルタで、復帰時に指導を受けた現2,3年を震えあがらせた(縁下、木下、成田は逃げ出してしまったほどである)。
春高の予選前、日向と影山の「変人速攻」を進化させるため繋心が計らい、日向にクイックのテンポなどを直伝した。
烏野高校現代文教師。バレー部顧問。29歳。身長166.5cm、体重59.4kg。1月10日生まれ。好物は肉じゃがで、最近の悩みは「生徒に『先生メガネダサイ』と言われた」
今年から顧問に就任したばかりで、バレーボールは未経験である。当初はまだルールも理解していなかったが、澤村をはじめとする部員らやコーチの烏養に教えてもらうたびにメモを取るなど、熱心で真面目な性格。バレー部を強くするために烏養繋心にコーチを頼みに何度も通って説得したり、人脈のない状態で青葉城西や音駒高校との練習試合を取り付けたりと献身的で熱意溢れる人物。現代文教師であるからかポエミーな言葉選びをすることが多く、そのたびに周囲に引かれていないか心配している。また、土下座が得意らしい。
この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。
コメント 0